日本語の「往来(行く・来る)」は、英語では「coming and going」と表します。なぜ、going and coming ではないのか、その理由を考察しました。
前提
本記事は以下の記事内容を前提としています。先にご一読いただけると幸いです。
記事の要点は次の通りです。
・日本語:「話し手の視界」前提。内(ウチ)と外(ソト)を区別する。
・英語:「俯瞰図」前提。話題ごとに場の中心を設定する。
・日本語の「行く」(内から外への動き)
・日本語の「来る」(外から内への動き)
・英語の「go」(場の中心から離れる動き)
・英語の「come」(場の中心に近づく動き)
・日本語と英語のズレが大きくなるのは、英語における「場の中心」が日本語における「外」に設定されたとき。このとき、日本語では「行く」となるが、英語では「come」となる。
「往来」と「coming and going」のイメージ
coming and going
まずは英語から説明していきます。英語では、言葉を並べるときにつなげていくことを重視します。チェーン(鎖)のように言葉をつなげるイメージで、逆に言えば、前後がつながる言葉を持ってこなければいけません。
coming and going だと「場の中心に近づいて、離れていく」イメージになります。coming and going であれば、場の中心が「つなぎ」の役割を果たすことになり、前後がきれいにつながった状態になるわけです。
往来
次に日本語について。日本語は内にいることを基準としたモノ言いを重視していると思われます。たとえば、「行ってきます」という表現を取り上げると、これは「行って」+「きます(来ます)」に分けることができます。意味は「行って、帰ってくる」です。
普段は内にいるのが普通という感覚が前提にあるため、外に出かけるときにも「行ってきます」という表現を使って、内に戻ってくることを言葉にしているのだと思います。そのため、「行く→帰る」という順番で考えるのが自然になって、「往来」という語順になったのだと考えられます。(このあたりは推測の域を出ていませんので悪しからずご了承ください)
最後に
英語では前後をつなげていくから coming and going という順序になっている、というのは英語の文法の観点から見ておそらく正しいだろうと思います。
一方で、日本語の内(ウチ)を基準としたモノ言いをしやすいことについては、「話し手の視界」を前提とした言語特性とも整合性が取れるものですが、ちゃんと検証はしきれていません。もし反証となるような表現などを見つけられましたら、コメント欄にてご一報くださると嬉しいです。
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